ハーバード大の哲学者の理論を使って不倫を全力で正当化してみる 3

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「正義とは何か」に関して長年講義し続けているハーバード大学マイケル・サンデル教授。その講義があんまり人気なので英国BBCで講義が丸ごと放映されています。そんなサンデル教授は落ち着きと知的なウィットを兼ね備えるハゲてるのにやたらかっこいいタイプのおじいちゃん哲学者です。

前回のハーバード大の哲学者の理論を使って不倫を全力で正当化してみる2では、マイケルくんの理論を応用し、不倫を禁ずる結婚という契約自体に不備があることを論じてみました。

 

今回はサンデル教授の講義から学んだ哲学を応用して、不倫が倫理に反さないことがあるという考えについてお話ししたいと思います。

 

不倫は倫理に反さない場合がある

サンデル教授は、個人的には「不完全である」という見解を示しながらも、18世紀プロセア国(現代のドイツに当たる地方)の哲学者 エマニエル・カントの理論を、倫理に関して最も影響力のあるものの一つと語ります。実際に、私たちの日常におけるルールや法律は、彼の理論に基づいている部分が少なからずあります。

そんなカントの哲学を考慮すると、不倫は倫理に反さない場合がある、と考えることができるのです。まずはカントの倫理の一部を簡単に説明します。

 

倫理的かどうかは動機で判断する

カントは、人間一人一人が理性ある自由な生き物として認められ、敬意を払われるべきと主張しました。簡単に言えば、他人のことも、自分のことも、モノとして扱おうとするのは倫理的によくない、と考えたのです。

つまり他人を自分の利益や自己満足のために利用しようとするのはカントくん的には「メッッ!」なのです。

 

ここで大事なのが、物事を行う動機が倫理的にOKかNGか判断するポイントだということです。

 

たとえば、チャリティーなどの慈善活動を例にとりましょう。最終的に自分がお金儲けをしたいがために、恵まれない子供達への寄付を募るのはカントくん的にはもちろんNGです。だって、恵まれない子供達と彼らを憐れむ裕福な人々を自分の利益のために利用するわけですから。

でも、「他の人を喜ばせるのが私の喜び」という利他的な動機で寄付を募っても、カントくん的にはアウトです。なぜなら、寄付する人とされる人を自分の自己満足のために利用しているわけですから。

 

人助けでさえも、自分の利益や満足感のために行うと、倫理的にアウトなのです。カントは、「慈善活動は人間として当然すべきだ」と思いながらやるなら倫理的にGOOD!ですが、その行為自体以外に目的がある場合、他人を目的を達成するための道具や踏み台として扱うことになるのでBAD!であると論じました。人間を人間としてではなく、モノとして扱うからですね。

めんどくさっと思われた方もいるかもしれません。カントくんの倫理は実際めんどくさいです

 

現代の結婚は倫理的でないものが多い

さて、本題に戻ります。カントの倫理論を鑑みると、結婚より不倫の方がよほど倫理的となることがあるのです。

 

結婚は愛する者同士が永遠の愛を誓い合う愛の儀式、とブライダルサロンでは言うでしょうが、実際はそんな美しい動機で行わないことの方が多いです。

男性は35歳、女性は30歳くらいになると、世間体を気にして早く結婚しようとする傾向にあります。外国で永住権を得るために現地の人と結婚する人だっています。

長い間付き合ってきたから、けじめをつけないと自分がヒドイ人みたいになる、という理由で結婚を決める人もいると思います。

子供がほしいからとりあえずまず結婚する、という人もいるはずです。

そんなに好きでもないけど相手はお金があるからプロポーズをOKした、盛大な結婚式を挙げてみたいからプロポーズをOKした、とかいう人もいるはずです。

 

これ、自分の世間体を保ったり、結婚というシステムの恩恵を受けたりするために完全に相手を利用してますよね。純粋に愛だけを理由に結婚する「愛!!愛愛愛愛愛愛ーーー!!!!」みたいな人って、あまりいませんよね。

結婚後しばらく経つと、相手のことを疎ましく思い始める夫婦は少なくないです。それで生活水準を保ったり、お互いに不得意な部分を補い合ったりするためにも結婚生活を続けます。これ、完全に相手を利用してますよね。太古の昔のことは知りませんが、少なくとも現代では、そもそも結婚とは多くの場合、倫理的な行いではないのです。

 

不倫の倫理と、不倫を許すことの倫理

では、不倫はどうでしょう?性欲を満たすためだったり、刺激を得るたねに不倫をするのは倫理的にもちろんNGですが、本当に、純粋に不倫相手と好き同士になったとしたら?

自分の生活を楽にしたり、裕福になったりするといった目的のためではなく、相手を人間として好きだから一緒にいたいと思うこと以上に倫理的なことはないはずです。人間を人間として見ているわけですから。こうした純粋な愛を動機とした不倫の方が、私利私欲のためにする結婚なんかよりよほど倫理的だと思います。

 

結婚という契約を破ることが倫理的かと聞かれれば、NOと答える人の方が多いと思います。でも結婚の動機が純粋な愛とは離れた、利己的なものであったなら、結婚とは契約により相手の心を愛のないところに縛り付ける行為になります。それは決して倫理的ではありません。結婚相手の不倫を許してあげることの方が、人間の心の自由を尊重することになるのではないでしょうか。